うさぎの旅立ち

2/20(金)
6年目の「うちの子記念日」

診療時間が終わる19時ごろ、車の関係で一度家に戻った。
夫にご飯を作り、夜から出かけるという夫に、準備ができたら病院まで送ってもらう予定だった。

21時半、心配で一度病院に電話をすると、昨日と同じ看護師さんのような声。不安がよぎる。呼吸は大丈夫か、発作は大丈夫か、何かおかしなことはないか、きちんと診てくれているかなどなど…私の質問に全て「大丈夫」と答え「落ち着いている」と話した。夕方、私が見たときから発作も起きていないと。

夫はぐずぐずしていてなかなか準備ができない。22時半、私はもう上着も着てポーチも持って、あとは出発するだけの体制で待っていた。夫、ぜんぜん支度ができない。プリントをしておいてあげるといったのに「終わった」と言って断ったものも、何でやってくれないの?などと意味不明のことを言っている。私は早くしろとイライラしていた。しかし、何か言うと怒って、怒ると送ってもくれないかもしれないので心の中でイライラしているだけだった。

22:40病院から電話が鳴った。うさぎの呼吸が止まってしまっている、心臓も止まってしまっている、いま先生が蘇生をしてみているが、早く病院に来て欲しいと。
私は家を飛び出し、タクシーを捕まえようと必死で道路まで走った。しかしタクシーなんて走ってない。夫が電話をしてきて、送ると言う。駐車場で待っているがなかなか来ない。来たかと思ったら電話をしていてなかなか出発しない。私は泣きながら早くしろと叫び続けた。

この日の夜は、姉がさくらを連れて泊まりに来る予定だった。22時30分~23時ごろに直接病院で待ち合わせだったので、いまどこを走っているのか電話する。運転中のようで繋がらない。

病院までの道のり、全ての信号に引っかかる。

やっと病院に着くころに姉から高速を下りたと電話が入った。急いで来るように伝えて私は病院の中へ。
当直は前日と同じY先生だった。看護師も同じ。診ていなかった、直ぐにわかった。

処置室に案内されると、息をしていないうさぎに人工呼吸器がつけられ、先生はただ突っ立って片手で心臓マッサージをしている。まるで、私が呼び鈴をならしたら始めましたといわんばかり…ただのパフォーマンス。
私がやめろというまでずっとやっているらしく、片手で、もう動いていないうさぎの心臓をずっと押し続けている。そのわざとらしいパフォーマンスに腹が立った。やめろなんて言うもんか!!と思った。言わなかったので、この後もY先生は10分ほど片手で心臓マッサージを続けていた。「うさぎちゃん頑張って!!」「戻ってきて!!」なんて一言もない。ただ、突っ立って片手で胸の辺りを押していただけ。

看護師は一歩下がって診ているだけ。この二人は、前日も入院患者のことを放っておいて処置室にいなかった。なぜ、この日、この二人…

いい加減、腹が立って、Y先生に何をしているのか尋ねた。先生は「心臓も呼吸ももう止まっているけれど、私がこうしているから、この心電図などは反応している、外してもいいですか」と。こいつ、殺したい。私はそう思った。

私が病院に着いたとき、うさぎの舌は粘土のようなグレーベージュのような色をしていた。およそ、さっき死にましたという色ではなかった。もし、さっき死んだのであれば、まだ舌はピンクなはず。発作があってチアノーゼを起こしていたのなら青いはず。そんなの素人だって分かる。
「見ていなかったんでしょ?」の質問に先生は「呼吸がだんだん弱まってきて・・・」と言う。「発作があったんでしょ?だって、目を開けてるじゃない!!この2日くらい、ずっと目を閉じたままで、発作のときだけ目を開けることがあったの、先生知らないでしょ」という言葉に、先生は黙り込んだ。

うさぎを連れて帰る準備をすると言われ、診察室で待たされた。待っている間に母に電話をしたが何を話したか覚えていない。

準備が終わり、もう動かないうさぎを私が抱っこし、車で家まで連れて帰った。
うさぎは下から体を温められていたせいか、まだ少し温かかった。でも、いま死んだにしてはぬるい、そんな温度だった。

うさぎの前足は注射の跡で真っ青。体も本当に痩せてしまって、骨がゴツゴツしていた。
食べるの好きな子だったのに、最期の何日間かは食べることもできなかった。お腹いっぱい食べたかっただろうに。

ゴメンね。

辛かっただろうに、寂しかっただろうに、痛かっただろうに、苦しかっただろうに…
帰ってきたうさぎは何だか笑っているように見えた。もう動かないうさぎの写真を何枚も撮ったが、どれもこれも笑っている。

うさぎと朝まで一緒に寝た。

「うちの子記念日」のケーキがお供えになってしまった。

2/21(土)うさぎとさくらと私で長いことすんだ蒲田のマンションにうさぎを連れて行った。結婚して1年住んだ奥沢のマンション、初めて発作が出たときに凄く良くしてくださった動物病院の前も通り、実家へ。
皆に会って、そしてまた東京に帰った。
私の枕の上で寝るのが好きだったから、枕の上に少し寝かせてあげた。
ベッドの横にソファを置いて、横に並んで最期の夜を一緒に過ごした。

2/22(日)大田区の火葬場で最期のお別れをした。
春になるとお花見ができる穴場な公園があって、そこに私たちもたまに遊びに来ていた。その思い出の公園の直ぐ近くの葬儀場で葬儀をしていただいた。
もうこれで体にも触れなくなるんだ…

火葬後のうさぎ
頭の中に黒い大きな塊があった。癌?腫瘍?
よく人間でも腫瘍のあったところは黒く残るというが、うさぎの首から脳にかけて、黒い大きな塊が残っていた。もしかして、脳腫瘍だった?脳炎だと思っていたが、脳腫瘍だったの?
泣き叫んでいたのは、脳腫瘍で痛かったの?触らなくても叫んでいたというのが納得できる。
まさかの誤診?

ここから、入院に関してのグレーな部分がたくさん出てくるようになる。

うさぎ…
早い時点で連れて帰ってくれば、もう少しは生きれたかも知れない。

まだ、会計も決着しない。次から次へ、投与していない薬の発覚、投与しすぎていた薬の発覚、昏睡にさせてしまった薬の乱用。論文のためのデータ収集?と思わせるようなこと…もう、うんざりするようなことばかり。

本当に腹が立つ。
この後の話については、また後日まとめようと思う。

大好きなうさぎちゃん
姉ちゃん、うさぎちゃんと出会えて本当に幸せだった。
たくさん、たくさん、ありがとう。

頑張ったね。
うさぎちゃんは世界で一番いい子だよ!

また会いたいよ。

usagi

広告

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中